神保 康広(JIMBO Yasuhiro)

1.略歴

1970年 東京都墨田区生まれ。

16歳の時にバイクの事故で脊髄損傷に。失意と絶望の中、約2年間に渡り引きこもりの生活を送った。88年、熱心な友人の勧めで車椅子バスケットボーを始め、90年からは名門「千葉ホークス」で活動。以後、日本選手権3連覇を含む、6度の全国制覇に貢献。また、92バルセロナ、96アトランタ、00シドニー、04アテネパラリンピックに、日本代表として4期連続出場。

 

2000年1月千葉市役所を退職し単身渡米。アラバマ州レイクショア財団にて、障害者スポーツプログラムを学ぶ。また、同財団の車いすバスケチームに所属し、全米車いすバスケットボール協会(NWBA)2部で活躍。翌シーズンに、全米選手権優勝及びオールスターファイブを受賞。02年にはNWBAの1部の“デンバーナ・ローリング・ゲッツ”に移籍を果たし、最終成績は全米選手権ベスト4。

 

06年に自身の海外経験を活かすべく、国際協力機構(JICA)の活動でマレーシアに渡り、同国で車いすバスケの普及とナショナルチームのコーチに就任。同年11月に開催されたフェスピック大会で指揮をとる。その後は帰国し、本業であった車いすメーカ勤務にしばし専念。

 

15年秋、日本パラリンピック委員会(JPC)派遣事業で、アフリカ・ジンバブエ国の短期普及活動に従事し、翌年も再訪。また、17年4月からは本業の傍ら、日本財団パラリンピックサポートセンターの「あすチャレ!スクール」講師を務める。なお、この活動は22年春まで継続。

 

18年8月、ドイツで開催された、世界選手大会で英国代表チームのスタッフとして参加。男子は史上初の金メダルを獲得、女子も過去最高順位となる銀メダル獲得に貢献。選手としてではないが、日本人で初めて世界選手権決勝のコートに立ち、金・銀メダルを獲得。

 

19年7月、オランダで開催された、女子欧州選手権大会に英国代表のサポートスタッフとして参加し、準優勝獲得。さらに、同年9月、ポーランドで開催された、男子欧州選手権に参加して優勝。これにより、男女とも東京パラリンピックの出場権を獲得した。

 

20年5月、東京パラリンピンピックがコロナウィルス(COVID19)の影響で延期となる事態を受け、新たな挑戦に向けて再出発した。具体的には講演活動をはじめ、パラスポーツの普及活動や発展途上国における活動も視野に入れて。さらに、近年社会で求められているダイバーシティなど、自らの経験を踏まえて社会に広く伝える活動も展開する。全ての人が自分らしく幸せに生きることができる社会を目指し奮闘中。

2.車いすバスケをはめたきっかけ

知人に誘われて見学したことがきっかけとなり始める。当時は事故のショックで、約2年間引きこもりの生活を送っていたが、熱心な周囲のサポートや応援があり始めることができた。引きこもっている時には知りえなかった、素晴らし社会や未来があることに気づく。それ以来、“知ること”の大切さを痛感し、何でも積極手に知識や経験を得るよう前向きになれた。

3.車いすバスケを始めて変わったこと

一番は車いすになった子自分を受け入れることができた。そして、一生懸命打ち込むことが見つかったことで、自分自身を好きになることができた。さらには、自信を持つことにもつながっていった。また、周囲に支えられていることに感謝するようになり、次の世代の同志たちへのサポートと応援を継承していきたいと考え、行動できるようになったと思う。

4.WITH PEERへの想い

私は2009年にマレーシア、2015,2015年にジンバブエにおいて、短期ではありましたが車いすバスケの普及と、俗に言う障がい者の自立支援活動に従事した経験があります。その時の印象として、発展途上国(発展中進国を含む)や経済破綻をした国々であっても、スポーツを通して楽しみ、夢中になり、様々なことを学んで成長していく子供たちや若い人たちを見てきました。また、私自身が「スポーツで世界をひとつにしたい!」という目標を掲げて活動をしているため、WITH PEERの活動には大変共感しています。私たちはパラスポーツを通して、障がい者の社会参加促進をサポートし、共生社会の実現に向けた活動を展開していきます。そして、“多様性”を許容できる社会の実現を目指します。