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落合・啓士(OCHIAI Hiroshii )

1.経歴

  • 1995年 18歳で失明。人生の絶望を経験。

  • 2003年1月 ブラインドサッカーをはじめる。最初難しすぎて続けようとは思わなかった。

  • 2003年3月 ブラインドサッカー第1回日本選手権へ参加。人がたりないというのでしかたなく。

  • 2003年8月 ブラインドサッカー日本代表に選出される。ここから本格的に練習をはじめる。

  • 2003年11月 国際大会デビュー。アジアチャンピオンに。

  • 2004年9月 ブラインドサッカーがもっとうまくなりたいと思って東京から大阪へ引っ越し。

  • 2005年7月 日本代表選考会でまさかの代表落選。結果はだしてたが感情を表にだしすぎるタイプでまわりとトラブル。ブラインドサッカーをやめようと決意。

  • 2005年9月 チームメイトの説得に負けブラインドサッカー復帰。

  • 2005年11月 そのチームメイトと第5回日本選手権で優勝。チームスポーツのよさを実感。

  • 2006年11月 日本代表として初の世界選手権出場。国際大会初ゴールを記録。

  • 2007年10月 北京パラリンピックアジア予選で韓国に勝てば出場決定というとこで敗戦。

  • 2009年12月 日本ではじめてアジア選手権開催。大勢のサポーターの中でプレイする快感を覚える。結果は準優勝。国際大会でのゴール数更新。世界選手権の切符をつかむ。

  • 2010年8月 イングランドでの世界選手権へ出場。

  • 2010年12月 アジアパラリンピック出場。首のケガで思うようなプレイができず引退を覚悟する。

  • 2011年4月 東日本大震災でつらい想いをしている人をはげましたくて現役続行。

  • 2011年12月 ロンドンパラリンピックアジア予選が仙台で開催。イランに引き分け以上でパラリンピック出場で残り23分まで手元に切符があったのにまたもやこぼれおちて出場ならず。

  • 2013年1月 日本代表キャプテンに任命される。背番号を7番から10番へ。

  • 2013年3月 ブラジルとの新全試合。試合は1−2で敗れたがブラジルから点をとった日本ブラインドサッカー界にとって記念すべき日。

  • 2014年10月 アジアパラリンピック出場。準優勝。

  • 2014年11月 日本ではじめての世界選手権開催。予選グループを突破して過去最高の6位。

  • 2015年9月 リオパラリンピックアジア予選。イランに勝ち点1届かず無念の敗退。キャプテンの任期終了。

  • 2016年11月 ドイツ遠征で古傷の首にまた衝撃がくわわり頸椎ヘルニアに。ドクターからはおすすめできないと言われたが現役続行。

  • 2017年9月 試合にでるために監督の顔色ばかりうかがうようになってしまい、それが裏目にでて代表からはずされる。

  • 2020年3月 代表復帰をめざしてトレーニングをつんできたがいろいろやりたいことができたため引退を決断。

  • 2020年8月 松本山雅B.F.C.の監督に就任。日本初の全盲監督。

2.趣味、あるいは最近ハマっていること

  • 人と会ってしゃべること。

  • ビジネスの勉強。

3.スポーツを始めたきっかけ、スポーツで得られたこと

スポーツをはじめたのは小学1年生の終わり。サッカークラブに入った。スポーツで学んだことは協力することの大切さ、バランスの大切さ、監督の理不尽さ、障害者スポーツがまだまだ腫れ物あつかいされている現状だった。逆に得たものは、メンタルトレーニングの重要性を学び、自分の可能性や自信を深めることができた。


4.開発途上国の「障害」にスポーツを通じて取り組むこと

ぼくはブラインドサッカーを通してたくさんのことを学ばせてもらいました。その中でブラインドサッカーのピッチは社会と同じだと感じています。見える人と協力すればほとんどのことができること、自分が努力すればできることがどんどんふえること。セネガルの視覚障害者の現状を聞いた時にブラインドサッカーがセネガルの視覚障害者の幸福度をもっと高められるんじゃないかと思いました。また、ブラインドサッカーを健常者側に体験してもらうことで視覚障害者の能力の高さにもっと気づけるはずだと思っています。見えていても見えなくても人生の時間は平等なんです。だからこそ見えない人生をもっとゆたかに楽しんでほしい。そう思ってこの活動に協力しています。

5.これから実現したい夢

 ぼくの夢は視覚障害者が見えないことをほこりに思って楽しい人生を送れる手助けをすることです。そして見えない人はできないとか、かわいそうとかいう社会の認識を変えていこうと思っています。そのために起業して日本でビジネスモデルをつくって、セネガルをはじめ、世界で就労にこまってる視覚障害者たちを救っていきます。視覚障害者が笑顔になれば親やまわりの人も笑顔になるから。そうやって笑顔あふれる社会にしていきたい。